パラサイト 半地下の家族を見てきました。
小島監督おすすめ映画という事で。結構以外な展開がどーとか言われていたので
あえて何も前情報はない状態で。
結果的にはちょっと自分の中でハードル上げすぎたかな?という感じ。トリッキーな構成なのに
最後はきれいにまとまってて、まぁ観てよかったなとは感じる作品。
あと、女優さんたちがかわいい。
■トリッキーな構成
本作を観て思ったのは、構成がすごくトリッキーなのにうまく纏まっている所。
- 前半はコメディ
- 中盤はある種パニックホラー?
- 終盤は社会的メッセージ性の強い感じ
ざっくりこんな感じ。
最初は悪知恵を働かす系のサクセスストーリーで、結構ライトな感じで見れる。
友人から家庭教師のアルバイトの引き継ぎを依頼された主人公。
向かった先は超金持ち家族の家。
まったく中身の釣り合わない主人公だが、身分を詐称し、ハッタリで
家族(奥さんの)信頼を得てしまう。
そこから、自分の妹、父親、母親とそれぞれが次々とその金持ちの家に
美術の先生、運転手、家政婦として入り込む。家族という事は伏せて。
金銭的に余裕も無い底辺家族が、悪知恵を使い
上流階級の家族に上手く取り入りヌケヌケと
高給な仕事を手に入れていく過程がコメディチックに描かれる。
表現するならば「すごく汚いシンデレラストーリー」とでも言おうか。
そんなトントン拍子ですすでいたさなか、急に物語は転調。
ここからはネタバレになってしまうのでファジーに書くが、急にホラー的な雰囲気に変わる。
この転調の仕方がこの映画の特徴かもしれない。違和感が無いのに大胆に変わる感じは見事だと思った。
個人的にはここからパニックホラー路線に行くのか?!と思ったんだが、なんとそこからまた転調し
最終的には社会的なメッセージも含んだある種救いのあるカタチでまとまる。
■格差社会というテーマ
日本でも格差社会で貧富の差は非常に大きい。そういった部分にコンプレックスを感じる層には本作のメッセージ性に
何かしら自分の中で感じる所があるのではないだろうか。
そしてその感じる所というのは、表現がしづらいのだが「他人、親族、家族であってもその心情を吐き出すのは気が引ける」のでないだろうか。
それはおそらく「努力/頑張り」というワードでまとめられてしまうから。
そういったワードでまとめられてしまうのは、当人としては納得が行かない。
でもこれを解決するのはそのワードしか無い。わかっちゃいるけど、出来ない。そういった弱い部分は誰でもあるだろう。
そういった「弱さ」が本作からはにじみ出ているように思う。
本作を素直に「面白かった!」と言えないは、本作を観た事で自分の今の状況が
どのレベルなのか?というのを再確認させられるからなのではと個人的に感じた。
■韓国という国
この映画は"韓国"という国の背景を知っているとより楽しめるのでは無いだろうか。
格差社会というテーマが日本以上に重いのが"韓国"という国だろう。
韓国という国は超学歴社会という事は結構有名な話。
"有名な大学を出て、有名な企業で働く"
これは日本でもそうなのだが、韓国という国はこれに関しての熱量が全く日本とは異なる。
韓国という国は、財閥のチカラが非常に強い。
SAMSUNG、LG、HYUNDAI、ロッテ等…
戦前、戦後から韓国を経済的に牽引し、急速に成長した財閥系企業は
韓国という国の核でもあり、根本的な問題の核でもある。
この辺を掘り下げちゃうと映画というテーマから逸脱しまくるのでほどほどにするが
そういった一流企業に入る事が何よりも大事という韓国の雰囲気が
競争社会/格差社会というモノを熾烈にしているように思う。
■本作の社会的メッセージ性
そして、もう一つ重要なのは韓国人特有の「恨(はん)」という思想。
以下Wikipediaより
恨(ハン)は、朝鮮文化においての思考様式の一つで、感情的なしこりや、痛恨、悲哀、無常観をさす朝鮮語の概念。朝鮮における、文化、思想において全ての根幹となっている。歴史学者古田博司は朝鮮文化における恨を「伝統規範からみて責任を他者に押し付けられない状況のもとで、階層型秩序で下位に置かれた不満の累積とその解消願望」と説明している。 朝鮮民族にとっての「恨」は、単なる恨みや辛みだけでなく、無念さや悲哀や無常観、(虐げる側である優越者に対する)あこがれや妬み、悲惨な境遇からの解放願望など、様々な感情をあらわすものであり、この文化は「恨の文化」とも呼ばれる。
まさに今作のテーマ/メッセージ性を理解するために重要な要素なのでは?と個人的に感じる。
これはあくまで私自身の見方・解釈なのでという断りは入れておくが
韓国では自虐的に自分を表現し、自分自身を憐れむという文化があるんでは無いかと思う。
目標やゴールに向かい、死ぬほど努力するという国民性。しかしそれが叶わなかった時の虚無感。
「自分の努力は何だったのか、自分はなんて卑しいのだろう」
そういった事を「嘆く」文化があると自分は解釈している。
(浅いので違ったらご勘弁)
本作の核心的な部分になるが
- 貧乏家族のお父さんは、まさにこれで「諦めてしまっている人」として描かれ
- そして、主人公である息子は「そこから何とかして抜け出してやるという決意」というカタチで物語が〆られる。
このへんが後半が社会的メッセージ性が強いと感じた部分だ。
最後のシーンは、主人公の決意というカタチで〆られ、ある種救いのある終わり方をしているとも見える。
しかし、そういった努力や頑張りが実りづらい社会で、そう上手く行くだろうか?と個人的には感じた。
ここは「救いのある最後」と取るか「虚しい決意」と取るか、見る人に委ねられているように個人的には思った。
そして圧倒的に卑屈な自分は後者だった。